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SOUPiFUL

peaceful・soup

テラサーガ Ⅲ


さて、私自身が、私自身を振り返ることで、何か発見があるかもしれないということで始めた、テラサーガ。


◆テラサーガ Ⅰ
http://ssssparkle.hatenablog.com/entry/2016/05/01/225125

◆テラサーガ Ⅱ
http://ssssparkle.hatenablog.com/entry/2016/05/07/085835


これから思春期以降、トラウマ形成期に入ります。

私の中では自分の精神的なブロックをたくさん抱え込んだり、自己否定するきっかけが増えた時期で、

要は、かなりこじれている時期なので、それを紐解くため、かなり細かい描写が多くなると思います。

読み物というより膨大なメモという感じです。
超絶、長くなると思われます。


暇だったり、気が向いたら読んでね。


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小学校中学年頃に、おじいちゃんが階段から落ちて亡くなる。
同時期に海外にいた叔母も、バスで移動中に崖から落ちて首を痛める。

この時、不思議なタイミングの一致を感じた。

叔母も母も「アタック」があったからということ言っており、
何となく超常的な力が働いたのかもしれないと私も感じるが、そういうものをリアルに感知できない自分に劣等感を感じる。

因みに、母は家族の誰にも頑なな態度で、特におじいちゃんとは最悪の仲だったのと、おじいちゃんのアル中の症状が酷くなっていたのとで、
家族皆、悲しいのと、ホッとしたのとがない交ぜだったと思う。


「目に見えない世界や力はあるに違いなく、それを感知しないと一人前じゃない。立派じゃない。真理に辿り着けない。だからこそ感知したいのに、できない自分はダメなんだ」
母や叔母と自分を比べることで、謎の劣等感を抱えたのがこの頃。

※母や叔母と色んな話をするなかで、スピリチュアルな世界観や知識などが小さい頃から自然と蓄えられた。ある意味スピリチュアル英才教育。

ただ知識もあるし間違いないと感じるからこそ、いまいちつかめていない自分に嫌気がさした。






中学校にあがって転校するまで、母とはほぼ一緒にいて、勉強を監視されたり、出掛けたり、色んな話をした。

母親の厳しい門限やら何やらで、友達と遊んだり、好きなことを好きなだけしたりが、できなかった。
勉強も母親が決めたものをひたすら やらされて。


そんな中、言いつけを守れず猛烈に存在を否定されたりして深く傷つく反面、宇宙のことや人生について、真理を求めてかなりディープに語っていたので、私にとって母は、
母というより、唯一無二で、魂を分けあってしまったような感覚の存在であった。

猛烈に喧嘩をすることもあるけど、それ以外の時は、一番心を開ける大親友のような感じだ。


そして大好きだからこそ、その人から「生まれてこなきゃよかった」とか「死ぬならさっさと死ねば良い」とか言われて、うまく思い出せないくらい張り裂ける悲しさだった。

じゃあ何で生んだのか、勝手だ、と言えば、
「生みたくて生んだんじゃない」「お前を見てると別れた男を思い出してムカつくんだ」と返され。

自分の存在意義や価値が根底からガラガラと崩れるような感覚で。
この頃は怒りより、悲しみや罪悪感が強かった。
何度も死にたい気持ちになった。でも、自殺する勇気もなかった。

生きるのも死ぬのも辛い。
この時の猛烈な辛さが「私は何で生きているんだろう。」という自分への問いかけへの、情熱に繋がった。情熱というよりは、執念だけど。


ただ、当時はそう思えなかったけど、ここで母親にぶつからずに全部溜め込んでいたら、死んでいたと思う。
死ぬ思いではあったけど死ななかったのは、溜め込まなかったから。

そして、おばあちゃんや叔母と、母以外の家族がいたことで、なんとかバランスをとっていた。
(おばあちゃんも叔母も私に味方してくれていたから。ただあまりにも私と母の喧嘩が絶えず辟易もしていた。)

だから、家の中では凄惨な状態でも、学校などでは平和に楽しく過ごせていた。




私が中学二年の時に、私に一番優しくしてくれたおばあちゃんが亡くなった。
家族は私と母と叔母の三人になった。

遺産問題で母が猛烈にゴネる。
叔母と母はもともとあまり仲が良くないが、ここで完全に仲違いになる。
遺産に関しては私は傍観者だが、毎日喧嘩が絶えず、ますます家が嫌いになる。
そしてほぼ絶縁状態で、母と私は千葉に越す。



中学三年に上がるタイミングで千葉に越した私と母。
新しい街を母も私も気に入った。
新しい学校でも、特に問題なく過ごした。

しかし、親子二人きりの生活で、喧嘩をすると止めに入ったり、庇ってくれる人間がいなくなり、エスカレートした。

私も、以前なら言いくるめられたりしていたことにも、反論できるくらいの言語化能力もついてきて、
親に対しての罪悪感よりも、理不尽さに怒るようになってきた。

ただ、少しのんびりしたいだけなのに。
ただ、ゆっくり家で安心して過ごしたいだけなのに。
それが叶わないことが、とんでもなく辛かった。
いつも行動を管理、監視されることが苦しかった。

言いつけを守らなければ、家を追い出されることも度々あった。
友達に助けてもらったり、家の外で朝まで凍えながら、家にいれてくれと言い続けたこともあった。


「大事な人に棄てられる恐怖感」
はここで刷り込まれた。


この頃は慢性的に傷ついて疲れていたから、色んなことのやる気をなくした。
友達に会えば気持ちは和らぐし楽しかったけど、家に帰ればまた地獄だ。

毎日を心穏やかに過ごしたい一心だった。

親の言いつけを守れば良いのかもしれないが、私にとっては膨大な勉強の課題をこなす 気力も体力もなかった。
せめてもの 友達との楽しく心安らぐ時間も、門限やら何やらで あまりなく、家に帰る気がしない私は門限を破ったりして、また締め出されたりと、

毎日が、すべてが悪循環だった。

とにかく母親から離れたいという気持ちが、高まった。
でも、絶縁状態な親戚などに相談したりはできないと思ったし、分かって貰えないだろうと感じて、一人で何とかしようと抱え込んだ。

この歳では仕事はできないけど、売春でもすれば寝るところとかお金とか、何とかなるかなとか、何度も考えた。
でも、やっぱり恐くて、猛烈にしんどいけど母親の元で暮らすことと努力を、選び続けた。




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ここまで書いて、あーー、やっぱりあの時は本当に辛かったんだな、と思い出した。


母親が好きだけど、受け入れて貰えない。
安心して過ごす場所が欲しいけど、叶わない。

それならば母親から離れたいと思うも、
母親から離れて生きる術を知らない。


どうしていいかわからない、どうしようもない、辛さだったね。
本当に、よく死なずに耐えたと思う。


よく頑張った、わたし。

外側に目立つ形ではグレなかったけど、心の中がめちゃくちゃになっちゃったね。

隣にあのときの私がいたら、ハグをしてあげたいよ。


はーーー、ほんと、よく耐えた。

それだけで、すごい。






そして、まだまだ続きます。長い。(笑)

さて、これからどうしよう。


ここ数日間、色んな言葉が次から次へと頭に浮かんできて、怒濤のようにFacebookやblogを更新した。


24年間生きてきたなかで、私なりに見つけた、世界の本質のかけら。

どうしても、私の個人的な感覚は排除できないが、
断言している部分に関しては、なるべく普遍的な内容になるように書いたつもりだ。







去年の暮れ頃から、今日まで、短期間でかなり色んなことが起きた。

猛烈に心が揺さぶられることが、たて続いた。


そして、つい最近、揺るぎない、満ち足りた安心感を感じてから、毎日が軽やかになった。


自分自身に誠実に生きること、自然に出来るようになってきたなぁと思う。


もともと、気持ちに嘘をつくのが気持ち悪すぎて耐えられないタイプだし、嫌なことをする時の我慢もきかないので、ストレスはためない方だと思っていたけど。


そんな私ですら、深いところではたくさん自己否定していたし、恐怖感や罪悪感も山ほど抱え込んでいた。

少しずつ、しんどさも味わいながら、そういうお荷物を手放していく。



以前の私なら、ここまで好き放題、ネット上で何かを述べるのは、怖すぎてできなかったと思う。

もう少しいい子ちゃんぶって、当たり障りなく、ポジティブな内容を心がけていただろう。


でも今は、思い付いて、書きたいと思ったときに浮かんだ言葉をそのまま全部出す。
心にしがらみがない感じで、らくちんだ。



私はきっと、なぞなぞ遊びのような、頭脳を使ったひとり遊びが好きで。

放っておくと、たくさん頭にエネルギーを使ってしまう。

一人でお家に居るときなんかは、もう、ずっと何か考えてしまう。


そんなことをしばらくやり続けたら、頭がだいぶ満足したみたいで、ふと急に何も浮かんでこなくなった。



そうしたら、突如 お家に一人でいることがすごく寂しくなって(猫ちゃんもいるけど)、不安になってきてしまった。


不安というのは、お金のことだけど。



好きな時間に、のんびり好きなことができる。
私を大切に思ってくれる人がいる。

そんな幸せを、ついさっきまで感じていたのに。


このまま同じ毎日を続けても、それが叶わなくなりそうな不安感。


でも、
ではどうしようか?どうしたいか?
というところが今 自分で見えてこない不安と。



とりあえず、寝とけってことかな?

「おしゃれ」で読み解く生き様のはなし



わたし、「おしゃれ」なことが大好きです。

服でも、空間でも、音楽でも、言葉でも、人でも、なんでも。

逆に言うとダサさが、不快。


でも、「おしゃれ」ってとても抽象的なもの。

そこで、私にとっての「おしゃれ」の定義を明確にしていこうと思います。



まず私にとっての「おしゃれ」は、いかに洗練されているか、そのものの持つ【世界観の純度】とイコールです。


で、今度は「洗練されている」、「世界観の純度」とはどういうことかというと。


まず、人間には、それぞれ先天的&後天的なもので構成される「好み」というものがあります。


それは、食べ物でも、色でも、音楽でも、場所でも、
それぞれが心地よく感じるものって違いますよね。



その自分の「好み」を、歪みなく自覚し、そしてそれを表現することが、その人の「世界観」を構築することになります。

その構築された「世界観」が最終的に、おしゃれと評価されたり、「スタイル」と呼ばれたりするわけです。



で、その「好み」という部分に注意点があるのです。

上に「好みを歪みなく自覚し」と書きましたが、
それはどういうことかと言うと。



《あなたが「好き」だと思っている、それは、

本当にあなたにとって純粋に「好き」なものですか?》

ということです。





それをお洋服で例えを挙げますと。


「小花柄のワンピース」を買ったあなた。

何でそれを選んだか、理由を人にしっかり伝えられますか?そのワンピース、気に入ってますか?


そこで、「何となく」とか「流行ってるから」買った。
お気に入り度は「ふつう」。

というような答えになるとしたら。
そして、今 手持ちのお洋服が、すべてそんな風に選ばれているとしたら。


残念ながら、間違いなくあなたはダサイ人です。


あー、私は、ブランドにもめっちゃ拘って買ってるしー♪ダサくなかった、よかった♪

と思ったあなた。


じゃあ、あなたは何でそのブランドが好きなんでしょう?

「皆がおしゃれって言ってるから」
「雑誌でイケテるって紹介されてたから」

では、ありませんか?


もちろん、流行りものに乗っかる楽しみもありますよね。
それを無邪気に楽しむぶんには、まったく問題ないと思います。

特に、日本人はみーちゃんはーちゃんな方が多いですし。



でもね、冷静に自分を観察してほしいのですが、
流行りものが好きって気持ちのその根底に、

「皆と同じでないと、流行りに乗らないと、嫌われてしまう」

という不安が有りませんか?



仮に、今「好きだ」と思っているものが、
流行りものではなかったら。人からは評価されないものだったら。


それでも、それを「好きだ」と言えるでしょうか?




誰になんと言われても、「好きだ」と思えるものこそ、
あなたにとって【歪みのない好み】なわけです。

そして、この歪みのなさ、純度の高い「好き!」の蓄積こそが、
確固たる、その人にしか出せないオリジナルな世界観を構築するのに、必須の条件なわけです。






長くなりました。


ここでまとめますと。




私にとっての「おしゃれ」とは、
【純度の高い世界観を持っていること】です。

フランス人はとかく、「スタイルがある」ことを重要視しますが、そういうことだと思います。


それは、人でも、創作物でも、服でも、音楽でも、何でもです。



他人の価値観や評価を一番に気にして萎縮しているうちは、

絶対におしゃれにはなり得ない。ということです。

静かなる闘志 ※猛毒記事、注意


私、無性にイライラして、コロしたくなる人種がいます。


幸い直接の知り合いにそういう人はいませんが、


2ちゃんねる等の匿名性のある場で、やたらめったら人を否定・批判し、マウンティングし、論破論破と喜び暇を弄んでいる奴ら」



です。

そんな人たちの言葉を、イライラしながらわざわざ読んでしまう私もどうかと思うけど、当時はついつい、読んでしまっていた。


何を隠そう、私自身が、自分の知性をもってして、他人にマウンティングすることが好きだったからだ。当時は。
だからこそ、顕在意識では嫌がりながらも、心のどこかで引き付けられていたのだ。


しかも無意識、無自覚にやってしまうという、かなりイタイ タイプであった。


マウンティングされてしまった方、ごめんなさい。





そして、今。


相変わらず、人を小バカにすることは嫌いではないです。

はい、ひどい人間ですね。


しかし、「小バカにする楽しみもあるけど、他にもっと楽しいことがあるから、基本的にはそっちに注力したいし、する」

という感じで、軽いノリになりました。あれ?なってるよね?



匿名掲示板などでのさばる奴らは、
もれなく皆、ねっちょりしてる。
ユーモアもない。ディスるセンスもない。面白くない。世の中の誰より賢いつもりみたいだけど、愚の骨頂。
ただただ、不快。
全く持って、良いとこなし。

まじで、クズだと思うし、
世界平和的な目で見たら、邪魔でしかないから、ぺちゃくちゃ喋ってないで、早くしねと思う。

バカにするなら少しは面白くやってくれ。






あ、はい。全ての毒を今、吐ききりました。
すっきりしました。

受け止めてくれて、ありがとうございます。



話を戻しますと。



さんざんボロッカス言いましたが、
そんなクズな奴らも、同じ人間だと思うと、何となく放っておけない。

そんな天使な私もいます。


結局、誰よりも心の奥では寂しくて、苦しくて、助けて欲しいのは、吠えまくっている彼らのような人なんだと思います。あとは、犯罪とかしちゃう人とかね。


マッコウ臭いのは苦手なタイプですが、今ならこの言葉の意味がわかる気がします。


「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」


この言葉の私的超訳は、

「もともと平和で幸せに生きている人間には、救いの手は必要ないが、もがきながら、苦しみながら生きている人間には、いつでも手を差しのべ救いますよ。」

という神様の声かなと。

そして、私たちは皆 神の子なので、そのスピリットが刻まれちゃってるんでしょうね、私にも。


でもね、神様はいつも目の前で救いの受け入れ体制万全でも、
当のもがいて苦しんでる本人は、そんな救いの手が見えないし、もしその手が目の前にあらわれても、恐怖が勝り、振り払ってしまう。

ああ、もったいない。






話は変わり、私は小さい頃、
猛烈にナウシカに憧れた。

美しく、優しく、強く、聡明で、皆に慕われ、姫であり、母のようでもあり。しかし、同時に悲しみを抱えている。
そんなナウシカに猛烈に共鳴し、憧れた。



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私は結局。

人生に傷つき怯えている、苦しいけどこの苦しみから抜け出すすべが分からずもがいている、そんな人に、


「大丈夫、怖くない」


って、色んな角度から伝えたいんだと。

放っておくことは簡単だし、ましてや恐怖のあまり暴れる人に対抗することは、もっと簡単だと思う。


それでも、正面切って近づいていって、多少自分が傷ついたとしても、

抱き締め、大丈夫だよ。と伝えたい。



なんで、こんな面倒くさいことしようとか、したいとか思っちゃうんだろうね。


でも、やめられない。



そのための私のずば抜けた知性だし、そのための性格なんだとおもう。



頭が中途半端に良いと、世の中の理不尽などが許せなくなるのも、よくわかる。

でも、そんなことより、
もっと甘やかな世界にも行けるし、行っていいんだよ。と。

そんな中途半端な知性が吹き飛ぶくらいの、深い深い知性で、屈伏させ、気付かせたい。




これからも、そんな愛しき悪人に向かって、静かに発信し続けるであろう。


ああ、完璧で素敵なシナリオである。

テラサーガ Ⅱ

皆さまお待ちかね、テラサーガの第二話です。



前回はおばあちゃんがキーパーソンでした。

今回も長い長い、家族、そしてロリテラのお話です。

色んな伏線やエッセンスが、ばらまかれる頃でした。



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私は、バリ島で生まれた。


父がバリの人で、日本人の母が30歳のときに生んだ子だ。

私が生まれて間もなく、二人は離婚して、母は日本の実家に帰ってきた。



そこから、
私と、母と、叔母と、おばあちゃんとおじいちゃんの、五人家族での生活が始まった。


母子家庭というと可哀想がられることがあるが、
こんな風に母以外の家族がいた期間が長かったこと、
父親の記憶がそもそも無いことから、
母と子二人きりという寂しさを感じたことは、あまりなかった。



そして、この家族。

かなりユニークだったと思う。

おじいちゃんとおばあちゃんは、おじいちゃんがアル中で暴れることがあること以外は、まぁ、「フツーの人」であった。



問題は、母と、叔母。


母も叔母も、当時スピリチュアルの走りというか、ニューエイジなものにかなり傾倒している人間だった。


叔母は、まだ日本でスピリチュアルというものが出始めの、黎明期に、それを仕事にしていた人間だった。
ヒーラーだか、カウンセラーだか。


当時はけっこうな売れっ子だったようだ。

私が物心ついた頃には、いつもセッションや講義やリトリートなど、仕事で忙しくしていた。


そして、そんな叔母の部屋には、綺麗なクリスタルや、不思議な本、何に使うか分からない道具らしきもの、ヒーリングミュージックなるものが流れていたり…ナドナド、普段目にしない、目新しい世界観のものがたくさんあったので、よく遊びにいった。


それらが何なのかはよく分からないけど、心地よかったし、面白く感じた。興味をそそられた。


母は母で、ほぼ仕事はしておらず、いつも色んな本を熱心に読んでいたし、何かを探求していた。
世間の常識やしきたりに、猛烈に反発している人だった。


そんな、世間の常識からずれちゃっている、しかも強烈に、な人間がごく近くに二人もいたもんだから、当然のごとく私も影響を受けた。


まず、常識を疑う感覚が生まれた。

自分の現状の信念を、柔軟に変えていくセンスもあったし、無限に夢を見られたので、私の世界観はだんだん浮世離れしていった。

天使とか魔法とか、目に見えない超常的な力に強く憧れだした。



小学校に上がるまでは、そんな最高に夢見がちな私も、とっても楽しく過ごせていた。

家族も、大声で怒鳴りあう喧嘩もあったけど、私は大好きな母と仲良しだったし、特に問題はなかった。

母はいつも私に、テラは天才だと言って誉めて可愛がってくれたし、大好きだといつも言ってくれていたし、

そして私自身、自分の素晴らしさや、力を信じて疑わなかったし、
生まれながらの姫気質も相まって、とにかくモテモテだったらしい。
(らしい、というのは大きくなって周りから聞いたことだったので。)




最近、ふとこの幼少期のことを思い出すことが増えたのだが、

あの時にすでに私は「メス」だったとおもう。

センシュアルな感覚を理解したし、エロへの探求心もはんぱなかったし、

何より、

「オトコは、私が強く思いさえすれば何とでもなる」

みたいなことを思って生きていたし、実際にそうだったのだ。自分は、本気で魔法を使えると思っていた。


テラ…恐ろしい子!!!





ところが、小学校に上がったあとは、だんだん、その魔法の世界が薄らぎ、
「常識」とか「社会通念」というものを吸収していくのである。


この頃から母は、だんだん無条件に私を可愛がらなくなってきた。

勉強が出来ること、「頭が良い」状態を強く求めるようになってきた。


で、もともと思考力が備わっていたタイプだったので、特に頑張らなくても、小学校の半ばくらいまでは当たり前に、クラスで一番の優等生だった。

わがままで、目立ちたがりで、利発だった。


唯一、スポーツが苦手だった私は、そこで初めて「劣等感」を感じるようになったと思う。


学年が上がってくると、だんだんと、「努力」で色んな才能を発揮する子が出てきた。


私は、それまでは特に頑張らなくても、わりとまんべんなくできてしまうタイプだったので、「努力」とか「我慢」が非常にストレスで、ふんばりがきかなかった。

「苦しいのを我慢してまで、何かを出来るようにするなんて、やってらんない」とばかりに。

ウサギと亀の、ウサギが寝に入るところだ。


そうすると、勉強も私よりできる子が出てきたりして、母には猛烈に怒られ否定される。


しかも、私が良かれと思ってしたことが、相手には余計なお世話だったり、傲慢に映ったりしたようで、何となくクラスから浮きはじめる。

非常に上から目線ではあるが、この時は、「できない人の気持ち」が全く分からなかったのである。

それに、謎の正義感を振りかざしまくっていた。

友達がいなかったわけではないけど、どこか距離をとられ、浮いていた。



そんなこんなで無条件の自信が無くなってきた私は、高学年になると、自分の世界にこもりがちになり、オタクになった。


ちょうど、ハリーポッターが大ブームの頃で、魔法の世界への憧れが猛烈に復活したのもこの頃だ。
例に漏れず、私もドはまりした。


まぁ、傷ついた私の現実逃避には、もってこいであった。



この頃、私が思い込んだ恐怖は、

「人より目立ったり違ったり有能だと、嫌われる」


人と違う価値観を持っていたら、隠しながら、バレそうになったら否定しなければ、人と仲良くなれない。と思ってしまった。


ああ、何てもったいない。と、今なら思うし、隠せてるわけないじゃん。とも思うのですが。

まぁ、必要な流れでしたね。



そこから中学校に上がるまでは、オタクとしては楽しい期間を過ごした。


しかし、母親との関係性が猛烈に悪化して、毎日怒鳴られるわ、生まれてこなきゃよかったと言われるわで、家が安心の場所では無くなり、しんどくなってくる。









続きます。

望み、気持ちを伝える時のスタンス

誰がどんなことをどんな風に話そうが、私には知ったこっちゃないが、

コミュニケーションに疲れている誰かに、コツを授けたいと思う。




まず、あなたはその望みを相手に伝えるときに、

【相手をコントロールしようという気持ちの強さ】

を、自覚するといいだろう。



「あなたのため」とかを連呼するやつに限って、
これを自覚していない。

そもそもが、相手を自分の都合のいいように動かしたいからこそ、人は"コミュニケーション"するのに。
(今後コミュニケーションの在り方そのものが変わっていくかもしれないが、今のところは)




「月がきれいですね」だって、
一見、共感を誘うだけのロマンティックな言葉だけど、見方を変えれば「そうですね」という共感、その反応を誘うための、ひとつの計算されたアクションだ。



人間はどうあがいたって利己的にならざるを得ないのである。
問題は、利己的な性質そのものではない。


問題は、
【自分のアクションに対しての相手の反応に、どれだけ執着しているか】
という部分。


執着しているぶん、コミュニケーションが重くなり、辛くなる。


じゃあ、執着しなければいいのか!!
となるし、まぁその通りだが、

今 執着している人は、やめよう!と思っても簡単にはやめられないと思われる。



ひとつ掘り下げていこう。



じゃ、なぜ執着するのか。してしまうのか。


それは、あなたの根底に、

【存在が受け入れられ、愛されている】

という実感、安心感、静かな自信がないからである。

常に、

【愛されていない】

恐怖感を根底に抱えながら、人と向き合ってしまっているからである。



だからこそ、
相手が自分の言い分に沿わないような態度をとると、
猛烈に不安になるのである。

「受け入れられていない!愛されていない!」と。

自らの言い分と自らの存在を、何故か直結してしまうのである。


だから、必死こいて相手をコントロールして、
言い分を強制的に受け入れさせることによって、

「ああ、受け入れてもらえた。愛されてる」

と思いたいのである。






相手にも気分や好みというものがある。
それによって、相手も行動を選択をしているのである。


あなたという人間そのものを受け入れていたとしても、あなたの言い分に何でもかんでも同意するかと言ったら、また別であろう。



【受け入れられている安心感】

がしっかり根付いている人は、そこをしっかり分離して考えられるのである。

考えが否定されたりするより、そりゃあ受け入れてもらえるほうが、誰でも嬉しいが、

しかし、そこにこだわりすぎないのである。



「あ、あなたはそう思うんだね~私とは違うけど~」

と、とってもサラッとしている。

自然と相手のことを尊重することができる。






というわけで、コミュニケーションが重たく、苦しいものになるときは、相手に問題があるのではなく。


あなたが

【受け入れられ、愛されている】

という実感を得ていないところに問題があるのである。




では、その実感をどう得るかというのは、また改めて書きたいと思う。

「自分の感覚がすべて。」の考察。


「自分の感覚が全て。」

ってどういうことかというと。その証明?をしていきたいと思います。



ここからは、かなりひねくれた論理になってきますので、気が向いたかただけ、どうぞ。(笑)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



たとえば、私に、何の疑う余地もなく「仲よし♪」と思っているお友だちがいたとします。


一緒にいる時間も長く、会えば、何をするでもなくお互いに楽しい気分になっちゃう。そんなお友だち。



でも!
そのお友だちが実は超絶ウソが上手で、人を騙すことが生き甲斐で、私と仲のいい雰囲気で過ごしている演技をしているだけだったとしたら。心のなかでは、しね!とか思ってたりしたら。

実は仲良しではなかった、ということになりますよね。


あはは、そんなわけない、と思いますか?

では、そんなわけない、「本当に仲よし」ということを証明できますか?

誰が聞いても、どこから検証しても間違いないという、絶対的な真実として、真理として、証明できるでしょうか?


いったん感情や常識を排除した、とてもシビアな頭で考えると、その証明は不可能だということがわかると思います。


逆に、「仲よしではない」ということも、同じように、絶対的な真実として証明できるすべはありません。



とすると、この場合。

「私とあなたは、お互い強い繋がりを感じあっている。お互いが一緒にいると心地がよい。」

と、あなたが疑う余地なく感じているその感覚そのものが、ある。ただそれだけ。ということです。



どっちにしろ、目に見えるこの世の全てのことを、「これが真実である」とまるっと証明できるすべはないのです。


究極を言ってしまえば、今世界で真理とされていることすら、「今のところ、この世界観のなかでは、たまたま真理に見えるだけ」で、真理を真理と外側から証明することは不可能なのです。

ひとつの世界観のなかで再帰的な証明が繰り返されるだけなので。




ああ、デカルトみたいになっております。
というか、デカルトはそういうことを言っているのだと思います。

「我思う。ゆえに我あり。」

有名ですね。

そしてこの言葉の私的解釈は、

「絶対的な真理を求め続けたけど、結局気付いたことは、私自身が感知することがすべてであるということだった。それ以外のものを、真理と証明するすべはない。」

こういうことです。


そこで、ああ、なんてむなしい事実なんだ。と感じるか、
そもそも、この事実を受け止められるアタマがないか、
それとも、ああ、そうか!じゃあ、あれこれ難しいことを考えるのは止めて、自分がいい!ここちよい!と感じさえすればいいや!と ある意味開き直るかは、
本当にその人次第ですが。


私は、どっちにしろ今 中村テラとして生き、色々な出来事を通して色々な感情を味わっていることは間違いないので、それならば、せっかくならば、私にとっての「快」を追求しちゃおう。



そんなふうに"思って"いるわけです。



ちゃんちゃん。

テラサーガ Ⅰ

みなさん、こんにちは。

今日は私の長い長い物語をきいてくれますか?


初めましての方も、すでにわたしを知る方も、そうかそうかと、きいていただけたら幸いです。


なぜ、今なのかというと。
私自身が「わたし」を語ることによって、過去の私自身が癒え、そしてこれを読む誰かを癒すかもしれないと、感じるからです。



今、私は平和で、満たされた気持ちでいます。


そんな自分が嬉しいと思ったときに、ふと、自分の「幸せになる」旅の決意は、あの時だったと、思い出しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




私が中学二年生の時に、それまで一緒に暮らしていたおばあちゃんが亡くなった。
本当に優しいおばあちゃんで、当時はいるのが当たり前であまり自覚していなかったけど、大好きでした。


おばあちゃんは肺癌で、見つかったときにはもう移転が進んでいたらしかった。

当時は詳しい状況を把握していなかったけど、すでに死を待つだけというような状況であったと思う。

ホスピスに入った。症状はとても苦しそうだった。


そして、ある日 危篤状態と病院からの連絡が入り、家族や親戚で駆けつけた。


「意識はまだあるので、声をかけてあげてください。」とお医者さんが言うと、それぞれが泣いたり感極まりながら、色んなことをおばあちゃんに話しかけはじめた。


何故か私はその様子を、とても冷めた気持ちで見ていた。
そして、だんだん、怒りがわいてきた。猛烈な怒り。

極めつけは、私の叔母が、ずっと、「ごめんね、ごめんね」と泣きながら、懺悔のようにひたすら謝り続けているのを見ていたときだ。

私は、瞬間、衝動的にその叔母や他の親戚を押し退け、「ありがとう。絶対に幸せになるからね。」とだけ、ちからいっぱい、伝えた。




なぜ、あの時あんなに激しく怒ったのか。
当時はそれを言語化する能力がなかったけど、今なら分かる。



あの時おばあちゃんに声をかけていた人たちの言葉はほとんど、あの時あーすればよかったこーすればよかったっていう、後悔からくるものだった。

しかも、心の奥底に留めてためまくった、かなりねっちょりして重たいやつ。

それを、人の死に直面するという極限の状態にかこつけて、オエオエしてるかんじ。



私は、それを見て、

そんなきたない言葉で、私の大好きなおばあちゃんの、神聖な最後を汚すな!!!!いのちへの冒涜だ!!!!!!

と、猛烈に怒った。ごめんと思うようなこと、はじめからするな!!!と。

振り返ると、あの時の自分の怒りがよく分かる。

でも、同時に今なら、当時 絶対的に許せなかった彼らの言動の奥の弱さや苦しさも、分かるし、寄り添える。


むしろ、おばあちゃんは、自分の死をもってして、彼らの後悔を洗いざらい受け止めてくれたんだなぁと。
そうでもしなかったら、彼らの心の奥底のどろどろは、吐き出されなかっただろうから。




何て深い愛なんだろう。


おばあちゃん、今、私は胸を張って幸せだと言えます。

生前、私と母の猛烈な不仲のせいで、たくさん心配をかけましたね。
私と母以外にも、家族同士の猛烈な喧嘩が絶えず、平和的なおばあちゃんには、とてもしんどかったでしょう。


でも、そんな中でも、いつも守ってくれて、かばってくれてありがとう。


わたしの、穏やかで包み込むような愛は、きっとおばあちゃんゆずりでしょう。




やっと、この世界に溢れる愛に気づけたよ。ありがとう。


これから、きっと、もっと素敵な世界が広がっていくとおもうので、おばあちゃんも楽しみにしていてね。






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振り返るままに書きはじめたら、どんどんと色んなことを感じて、気づいてしまった。

気付いたら、涙が溢れました。

泣きながらひとつ物語を書き終えました。


そして今、またひとつ私の心が癒えました。



私にも、おばあちゃんにも、そしてこれを読んでくださったあなたにも、ありがとう。