静かなる闘志 ※猛毒記事、注意
私、無性にイライラして、コロしたくなる人種がいます。
幸い直接の知り合いにそういう人はいませんが、
「2ちゃんねる等の匿名性のある場で、やたらめったら人を否定・批判し、マウンティングし、論破論破と喜び暇を弄んでいる奴ら」
です。
そんな人たちの言葉を、イライラしながらわざわざ読んでしまう私もどうかと思うけど、当時はついつい、読んでしまっていた。
何を隠そう、私自身が、自分の知性をもってして、他人にマウンティングすることが好きだったからだ。当時は。
だからこそ、顕在意識では嫌がりながらも、心のどこかで引き付けられていたのだ。
しかも無意識、無自覚にやってしまうという、かなりイタイ タイプであった。
マウンティングされてしまった方、ごめんなさい。
そして、今。
相変わらず、人を小バカにすることは嫌いではないです。
はい、ひどい人間ですね。
しかし、「小バカにする楽しみもあるけど、他にもっと楽しいことがあるから、基本的にはそっちに注力したいし、する」
という感じで、軽いノリになりました。あれ?なってるよね?
匿名掲示板などでのさばる奴らは、
もれなく皆、ねっちょりしてる。
ユーモアもない。ディスるセンスもない。面白くない。世の中の誰より賢いつもりみたいだけど、愚の骨頂。
ただただ、不快。
全く持って、良いとこなし。
まじで、クズだと思うし、
世界平和的な目で見たら、邪魔でしかないから、ぺちゃくちゃ喋ってないで、早くしねと思う。
バカにするなら少しは面白くやってくれ。
あ、はい。全ての毒を今、吐ききりました。
すっきりしました。
受け止めてくれて、ありがとうございます。
話を戻しますと。
さんざんボロッカス言いましたが、
そんなクズな奴らも、同じ人間だと思うと、何となく放っておけない。
そんな天使な私もいます。
結局、誰よりも心の奥では寂しくて、苦しくて、助けて欲しいのは、吠えまくっている彼らのような人なんだと思います。あとは、犯罪とかしちゃう人とかね。
マッコウ臭いのは苦手なタイプですが、今ならこの言葉の意味がわかる気がします。
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」
この言葉の私的超訳は、
「もともと平和で幸せに生きている人間には、救いの手は必要ないが、もがきながら、苦しみながら生きている人間には、いつでも手を差しのべ救いますよ。」
という神様の声かなと。
そして、私たちは皆 神の子なので、そのスピリットが刻まれちゃってるんでしょうね、私にも。
でもね、神様はいつも目の前で救いの受け入れ体制万全でも、
当のもがいて苦しんでる本人は、そんな救いの手が見えないし、もしその手が目の前にあらわれても、恐怖が勝り、振り払ってしまう。
ああ、もったいない。
話は変わり、私は小さい頃、
猛烈にナウシカに憧れた。
美しく、優しく、強く、聡明で、皆に慕われ、姫であり、母のようでもあり。しかし、同時に悲しみを抱えている。
そんなナウシカに猛烈に共鳴し、憧れた。
私は結局。
人生に傷つき怯えている、苦しいけどこの苦しみから抜け出すすべが分からずもがいている、そんな人に、
「大丈夫、怖くない」
って、色んな角度から伝えたいんだと。
放っておくことは簡単だし、ましてや恐怖のあまり暴れる人に対抗することは、もっと簡単だと思う。
それでも、正面切って近づいていって、多少自分が傷ついたとしても、
抱き締め、大丈夫だよ。と伝えたい。
なんで、こんな面倒くさいことしようとか、したいとか思っちゃうんだろうね。
でも、やめられない。
そのための私のずば抜けた知性だし、そのための性格なんだとおもう。
頭が中途半端に良いと、世の中の理不尽などが許せなくなるのも、よくわかる。
でも、そんなことより、
もっと甘やかな世界にも行けるし、行っていいんだよ。と。
そんな中途半端な知性が吹き飛ぶくらいの、深い深い知性で、屈伏させ、気付かせたい。
これからも、そんな愛しき悪人に向かって、静かに発信し続けるであろう。
ああ、完璧で素敵なシナリオである。