解脱 Phase Ⅰ
かいせつ、じゃないです。げだつ、です。
皆さん、こんにちは。
最近、人生に深刻にならなくなった私です。
あ、ちょっと嘘つきました。
深刻になる瞬間もあります。
ただ、この人生って、魂が選んでいる夢であり遊びであるという感覚がふと腑に落ちまして。
快・不快を全部ふくめた、様々な「感情」を味わうための人間の時間なんだなと。
(無限の時空目線で)
そんな感覚があると、どんなに
「寂しくてしぬ…」とか、
「不安でつぶれる…」とか、
「怒りでくるう」とか
いうような状態でも、
(あ、今 激しく不快な感情を感じてる。
これは魂からしたら貴重な体験だから喜んでるぞ。フヒヒ)
と思えるくらいまでの、変態になりました。
これで不快な感情が消えるわけではないですが、
気づくと、ニヤニヤするくらいにはなれました。
皆、人生を思い通りにしたくて頑張って生きてるじゃないですか。
夢とか希望とか追いかけて。
で、何か大小様々な望みが叶うと、嬉しい。喜ぶ。
で、夢とか希望って、結局突き詰めるとすべて
「楽しい」「嬉しい」「安心」「気持ちいい 」
などに繋がることで、その人にとっての【快】の感覚を求めて生きてるってことですよね。
たぶん誰も、
「不安」「悲しい」「ムカツク」「寂しい」
とかいう【不快】な感覚を進んで感じに行こうとはしないはずです。
なるべくなら、【不快】にならずに生きたいのが人間ですから。
ではここで、お聞きします。
もしあなたが、すべてを自分の思い通りにできるとしたら、今何をしますか?なんの制限もありません。
そして、未来で何が起きるか、すべてわかるとしたら。
悩みなんか無くなりそうですよね?
すべて思い通りで、未来もわかるというか、自在に決められるのですから、不安もありません。
なんて素晴らしいのでしょう!神のようです!
一切の【不快】から解放され、
【快楽】のみに心置きなくひたれます!
死ぬまでずーーっと幸せです!
…ん、待てよ?本当にそうでしょうか?
「こんなものが欲しい。」
「こんなことしたい。」
「こんな人と過ごしたい。」
「こんな風になりたい。」
「こんな所に居たい。」
と思ったこと、これが瞬間すべて思い通りになって、
またさらに
「こんなものが欲しい。」
「こんなことがしたい。」……
と思ったら、それもすべて思い通りになって……
ずーーっと、何のつまずきも、滞りも、不安もなく、思えば思った通りになる快だけの状態が続いたら、
さすがに、どこかで飽きてきません?
だって、全部自分の思い通りだからこそ、何が起きるかも全部分かるんですよ?
意図的に、「予測不能なスリル要素」とか入れたくなってきませんか?
あ、気づきましたか?
人間は常に【快】を求めながらも、
【常に快である】状態は、【快ではない】のですよ。
矛盾してますよね。
でも、ちょっと考えればわかるはずです。
世の中、良いことしか起きなかったら、それが当たり前なので、「良いも悪いも無い」状態になるんですよ。
お金持ちであることも、モテることも、特別なことではなくなる。
不快はないかもしれませんが、同時に快な状態に対する感動もないわけです。
ピンと来ないですか?
このことを考えるときに超絶ミソなのは、我々は今、【対比のなかでしか、ものごとを認識できない世界にいる】ということ。
「有」と「無」の関係です。
「無」があるから、「有」が認識されるわけです。
なぞなぞみたいですね。
でも、この「無」の必要性を感じると、
きっと世界のいろんなものにスペースを感じるようになる。
言い方をかえると、 余裕・余白のある生き方に繋がるのではと
思っています。
快楽を追求しながらも、
私の解脱は進んでいきそうです。(*^-^*)