言わなきゃ分かんないです。
昨日は、職場のスタッフ一同で飲み会に行って参りました。
お仕事の真面目なお話から、日常の他愛ないお話まで、皆でわいわいと楽しく過ごしました。
そこでひとつ大きな人生の教訓を改めて得たので、そのお話をしたいと思います。
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居酒屋さんに行くと、
お手洗いなどに「お客様ノート」みたいなものが置いてあるところ、ありますよね?
お客さんが自由にご意見・ご感想的なものを書き込めるノートです。
で、そのお店にも置いてあったので、
楽しく過ごしてます~ みたいなことを書こうと思って、
ハラリと開けてみたのですよ。
そうしたら、
「美味しかったです~❤」
とか
「楽しかった~また来ます~❤」
「ビール❤おっぱい~❤」
みたいな思い思いのコメントがあって、ほっこりしていたんですが、
ひとつ長めの文章が目に入ってきました。
そこにはこんなことが書いてありました。
「店内が寒すぎる。
友達と『さむいね~』と言い合ったり、上着を羽織ったりしていたのに、それに気付いてくれなかったのが残念です…
空いたお皿に気付くなら、そこにも気付いてほしかった…
寒かったので飲み物も進みませんでした」
概ね、こんな内容でした。
はい、冷えすぎな店内、あるあるですね。
でも、私はこのコメントを見たとき、すごくムカつきました。
は?頭悪いの?なんなの?しぬの?と。
こいつはぜってーーモテないわ。そんなんだから孤独で寒すぎる人生なんだわ。と。
何で 友達に寒いと伝えられるのに、
飲み物食べ物のオーダーは店員さんに伝えられるのに、
「寒いです。空調を調節してほしいです。」
とは店員さんに伝えられないわけ?え??
そんで最後は気付いてくれなかった店員さんのせい。
寒い店内で震えながら寒い話に花すら咲かせられなかった悲劇のヒロインのわたくしヅラ。
寒いので対応してほしい。と伝えた上で、何も対応されなかったりしたら、その時にはじめて文句言えよ。
「察してくれの構ってちゃんの甘ったれ」
察してほしい、気を回してほしいとのたまうやつほど、
そもそも、他人と自分には全く別の世界が見えていて、感じているのだということに気が回らない。
赤ちゃんと変わらないのですね。自立してない。
もちろん、寒そうにする素振りを見て、
「お寒いですか?」と先んじて対応してくれる店員さんもいるよ。私とか。
でもね、
いつだって勝手に周りが自分の状態を細やかに把握してくれて、いつだって勝手に快適な環境が整えられる。
というのは、王族貴族、そういった特殊な立場の人くらいだし、
そういう人達だって、何かしらを周りに伝えることは絶対にしている。
「伝える」という努力すらしないで、
周りに文句を言うのは、私にとってはとても傲慢なことだと思います。
でも、気付かずに色んな形でやってしまうことでもあると思います。
特に日本は、「察する」文化が発達している。
上手に察し、察されたときはお互いに何も問題は起きないかもしれませんが、
それが当たり前になって、
「何で察してくれないの!何で分からないの!こんなの分かって当たり前でしょ!」
となったときに、不幸が生まれるのだと思います。
細かいことを改めて伝え合わなくても、何となくお互いのことが分かる。
そんな他人との「ツーカー」の状態は心地よいですし、素敵なことですが、
その状態は、初めから誰とでも成りうることではなくて、
たくさんの経験などを共有し、その度に対話を繰り返すという 蓄積の上にしか「ツーカー」は成り立たないと思います。
そして、そんな「あうんの呼吸」「ツーカー」の仲ですら、すれ違う瞬間がある。
その度に、言葉にして伝え合う。
むしろその努力を怠らなかったからこそ、言葉にせずとも分かり合える瞬間がある。
結論。
【言わなきゃ分かんないです】
これは、職場の六月のスローガンにもなりました。
細やかに伝え合うこと。
今のところ、人間はテレパシー使えないので、言葉にして伝え合うことはとってもとっても大切だと思います。
で、そもそも論として、
「伝える」というのは、
自分の状態、気持ち、意志、そういうものを表に出す。
ということで、そのためにはまず、
★様々な「自覚」というものが不可欠であること。
そして
★相手を力づくでコントロールしようとすることとは違うということ。
もちろん、相手に何かを望んだり意図して伝えることはあるでしょうが、
それに対してどんな反応をするかは、相手の自由である。
それは、逆もしかりである。
ということも覚えておくと、きっと気が楽になるでしょう。
以上、超基本的で超重要な教訓でした。