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家族コンプレックス


年の瀬、帰省して家族とのんびり過ごすとか、
そういう人が多い時期だ。


普段の生活の中では忘れていたけど、
私は身近な血の繋がる人間がすごく少ない。

少ない上に、ちまたに見るような
「家族とはこういうもの」というイメージとはだいぶ質を異にする。


このご時世、カタオヤだとかなんてことは特に珍しくなく
一人っ子だって多くいる。

実に様々な家庭事情が、家庭の数だけあるだろう。

それに、私にとってはその形が「当たり前」だから、
特段自身の家族の形に関して意識することもない。

(同情されがちな形状ではあるが)



でも、世の中が、
「家庭のぬくもり」のにおいでいっぱいになると、

そのにおいを、当事者として内からお腹いっぱい吸い込むことができない私は、
とたんに自分だけ取り残され 途方もなく独りであるように感じるのだ。

と同時に、
「両親がいて、どちらも真面目に働き、信用と、安定した収入がある。
時にいざこざもあれど いつも安心して帰る場所」
というような、
「家族・家庭、かくあるべし」的な、世間なのか誰なのか分からないが、
そういうどこからともなくわいて出る
善良な家庭のイメージからは乖離している自分と自分の抱える家庭事情が、
人として絶対的に欠落、欠陥しているように思えて
消えてしまいたくなる。



マジョリティーで、安心で、豊かで健全な社会の人間。
というような、虚像とわかっていながらも
自らが持たないからこそ切望するその姿に、
絶望を見せつけられ、打ちのめされる。


誰も恨んではいない。

ただ、社会に根付く家庭行事を、
ままごとでしかできないということが、
ものすごく、悲しい。


自分で気づかないくらい日頃は当たり前になっているけれど、
こういう時期には心の深い部分がほじくり返されて、
自分でもこんなに強烈なコンプレックスを抱えていたことにおどろく。

これも、リハビリと思って言葉にしてみた。