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美意識と無意識は相容れない


美意識って言葉、「見た目」に関することを指した場合が多い気がしてる

私にしてみればその限定的な言葉の使い方が下品で 美意識低いなってなる


人生って全ての瞬間の絶え間ない選択でしかなくて、その選択は無意識な場合もあるし、意識的な場合もある。

私にとって美意識っていうのは、その選択をする際の意図や意志とその土台となる好みを総括したものっていう定義。


だから、何事も無意識だったり思考停止的な態度は 私にとってとても醜いこと。


均整のとれた顔、からだ、は美しい。
外面的な美しさの探求そのものは醜いとは思わない。


私にとって、美しさの追求は全ての選択の瞬間に宿るもの。
全ての瞬間を無意識で生きないということが最上の美。
無意識でないことをどれだけ追求していくかの熱量が美意識の高さ。


そうすると、私にとって頭悪い=無意識の瞬間が多いってことなので
頭が悪い人はとても醜くて大嫌い。
もちろん、頭が悪いというのは学校での成績がいい悪いとかの基準ではない (とは言いつつ頭がいい人はそういうお勉強もできがちではある)



もし意識的選択の土台となる好みが全く違っても、その人の美意識さえ高ければ、信頼できるし尊敬できる。




自意識過剰なのは不便な所もあるけど、過少よりは絶対にいい。という好み