SOUPiFUL

peaceful・soup

テラサーガ Ⅰ

みなさん、こんにちは。

今日は私の長い長い物語をきいてくれますか?


初めましての方も、すでにわたしを知る方も、そうかそうかと、きいていただけたら幸いです。


なぜ、今なのかというと。
私自身が「わたし」を語ることによって、過去の私自身が癒え、そしてこれを読む誰かを癒すかもしれないと、感じるからです。



今、私は平和で、満たされた気持ちでいます。


そんな自分が嬉しいと思ったときに、ふと、自分の「幸せになる」旅の決意は、あの時だったと、思い出しました。

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私が中学二年生の時に、それまで一緒に暮らしていたおばあちゃんが亡くなった。
本当に優しいおばあちゃんで、当時はいるのが当たり前であまり自覚していなかったけど、大好きでした。


おばあちゃんは肺癌で、見つかったときにはもう移転が進んでいたらしかった。

当時は詳しい状況を把握していなかったけど、すでに死を待つだけというような状況であったと思う。

ホスピスに入った。症状はとても苦しそうだった。


そして、ある日 危篤状態と病院からの連絡が入り、家族や親戚で駆けつけた。


「意識はまだあるので、声をかけてあげてください。」とお医者さんが言うと、それぞれが泣いたり感極まりながら、色んなことをおばあちゃんに話しかけはじめた。


何故か私はその様子を、とても冷めた気持ちで見ていた。
そして、だんだん、怒りがわいてきた。猛烈な怒り。

極めつけは、私の叔母が、ずっと、「ごめんね、ごめんね」と泣きながら、懺悔のようにひたすら謝り続けているのを見ていたときだ。

私は、瞬間、衝動的にその叔母や他の親戚を押し退け、「ありがとう。絶対に幸せになるからね。」とだけ、ちからいっぱい、伝えた。




なぜ、あの時あんなに激しく怒ったのか。
当時はそれを言語化する能力がなかったけど、今なら分かる。



あの時おばあちゃんに声をかけていた人たちの言葉はほとんど、あの時あーすればよかったこーすればよかったっていう、後悔からくるものだった。

しかも、心の奥底に留めてためまくった、かなりねっちょりして重たいやつ。

それを、人の死に直面するという極限の状態にかこつけて、オエオエしてるかんじ。



私は、それを見て、

そんなきたない言葉で、私の大好きなおばあちゃんの、神聖な最後を汚すな!!!!いのちへの冒涜だ!!!!!!

と、猛烈に怒った。ごめんと思うようなこと、はじめからするな!!!と。

振り返ると、あの時の自分の怒りがよく分かる。

でも、同時に今なら、当時 絶対的に許せなかった彼らの言動の奥の弱さや苦しさも、分かるし、寄り添える。


むしろ、おばあちゃんは、自分の死をもってして、彼らの後悔を洗いざらい受け止めてくれたんだなぁと。
そうでもしなかったら、彼らの心の奥底のどろどろは、吐き出されなかっただろうから。




何て深い愛なんだろう。


おばあちゃん、今、私は胸を張って幸せだと言えます。

生前、私と母の猛烈な不仲のせいで、たくさん心配をかけましたね。
私と母以外にも、家族同士の猛烈な喧嘩が絶えず、平和的なおばあちゃんには、とてもしんどかったでしょう。


でも、そんな中でも、いつも守ってくれて、かばってくれてありがとう。


わたしの、穏やかで包み込むような愛は、きっとおばあちゃんゆずりでしょう。




やっと、この世界に溢れる愛に気づけたよ。ありがとう。


これから、きっと、もっと素敵な世界が広がっていくとおもうので、おばあちゃんも楽しみにしていてね。






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振り返るままに書きはじめたら、どんどんと色んなことを感じて、気づいてしまった。

気付いたら、涙が溢れました。

泣きながらひとつ物語を書き終えました。


そして今、またひとつ私の心が癒えました。



私にも、おばあちゃんにも、そしてこれを読んでくださったあなたにも、ありがとう。