望み、気持ちを伝える時のスタンス
誰がどんなことをどんな風に話そうが、私には知ったこっちゃないが、
コミュニケーションに疲れている誰かに、コツを授けたいと思う。
まず、あなたはその望みを相手に伝えるときに、
【相手をコントロールしようという気持ちの強さ】
を、自覚するといいだろう。
「あなたのため」とかを連呼するやつに限って、
これを自覚していない。
そもそもが、相手を自分の都合のいいように動かしたいからこそ、人は"コミュニケーション"するのに。
(今後コミュニケーションの在り方そのものが変わっていくかもしれないが、今のところは)
「月がきれいですね」だって、
一見、共感を誘うだけのロマンティックな言葉だけど、見方を変えれば「そうですね」という共感、その反応を誘うための、ひとつの計算されたアクションだ。
人間はどうあがいたって利己的にならざるを得ないのである。
問題は、利己的な性質そのものではない。
問題は、
【自分のアクションに対しての相手の反応に、どれだけ執着しているか】
という部分。
執着しているぶん、コミュニケーションが重くなり、辛くなる。
じゃあ、執着しなければいいのか!!
となるし、まぁその通りだが、
今 執着している人は、やめよう!と思っても簡単にはやめられないと思われる。
ひとつ掘り下げていこう。
じゃ、なぜ執着するのか。してしまうのか。
それは、あなたの根底に、
【存在が受け入れられ、愛されている】
という実感、安心感、静かな自信がないからである。
常に、
【愛されていない】
恐怖感を根底に抱えながら、人と向き合ってしまっているからである。
だからこそ、
相手が自分の言い分に沿わないような態度をとると、
猛烈に不安になるのである。
「受け入れられていない!愛されていない!」と。
自らの言い分と自らの存在を、何故か直結してしまうのである。
だから、必死こいて相手をコントロールして、
言い分を強制的に受け入れさせることによって、
「ああ、受け入れてもらえた。愛されてる」
と思いたいのである。
相手にも気分や好みというものがある。
それによって、相手も行動を選択をしているのである。
あなたという人間そのものを受け入れていたとしても、あなたの言い分に何でもかんでも同意するかと言ったら、また別であろう。
【受け入れられている安心感】
がしっかり根付いている人は、そこをしっかり分離して考えられるのである。
考えが否定されたりするより、そりゃあ受け入れてもらえるほうが、誰でも嬉しいが、
しかし、そこにこだわりすぎないのである。
「あ、あなたはそう思うんだね~私とは違うけど~」
と、とってもサラッとしている。
自然と相手のことを尊重することができる。
というわけで、コミュニケーションが重たく、苦しいものになるときは、相手に問題があるのではなく。
あなたが
【受け入れられ、愛されている】
という実感を得ていないところに問題があるのである。
では、その実感をどう得るかというのは、また改めて書きたいと思う。