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SOUPiFUL

peaceful・soup

たまこと岡田&田中みっち濃密セミナー・子宮委員長はる出版パーティ 感想総括

タイトル、長すぎた。



そしてまた本文も長編大作になりそうな、予感です。(笑)






まず、「憧れのあの人に会いたい~!しかも近距離で!!」という、我ながら(←お気に入り便利ことば)ピュア❤な衝動から、参加を決めた今回のイベント。



セミナーと名が付いていると、何かかっちりとした、おべんきょうするぞ!!な場のイメージがありましたが、私にとっては、大人の遠足❤というかんじの、たのしぃ~~く遊んだだけの二日間でした。



豪華メンバーと、ファンシーな場所で遊べたので、今の私にとっては大金の参加費でしたが、とにかく大満足です。
お金を使う遊びの楽しさに浸りました(*^-^*)



もちろん、人間の私は、「お金ないよ!どうすんの!?」と、たびたび喚いておりますが、みっちさんの、

「大丈夫、しなないから!」

という御言葉や、この二日間 肌で感じた「なんだって大丈夫、なんとかなる」感から、自然と「死ぬこと以外はかすり傷♪」と思えるようになりました。

この、「死ぬこと以外はかすり傷♪」はどこかで見たどなたかの言葉の受け売りですが、勇気の出る、素敵な言葉ですね。

(色んな方の発信をめぐりすぎて、どなたがどんなことを仰ったのか、ごちゃまぜ)



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自分を生きる!と決め、自分の深いところと とことん向き合うってこと。
瞬間瞬間の自分の本心や感情をごまかさずまっすぐ捉え、本望を叶え続ける勇気。

そしてその積み重ねで、自分が満たされ、満ち足りたものが溢れ、循環していく。



この循環の輪が、ごまかしのない自分である瞬間の「コツコツ」した積み重ねで、今の大きな循環になった。



それを目の前で目立つ形で見せてくれているのが、はるちゃんや岡田さんやみっちさんやHappyちゃんや心屋さんや、今大活躍されている皆さんなわけで。


そんなすごーーい皆さんも、間違いなく、あーでもないこーでもないと、探りながらも自分にとっての目の前の「快」を愚直に取りに行き続け、今の形になっている。

今の私と同じように、もがいたり、しくじったりしながら前進していた頃がある。



そして、だんだんその「コツコツ」のおかげで自分が幸せに生きる「コツ」を掴んでいったのだと思う。流れに乗るのが上手になったのだと思う。



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そりゃ、海こわいとか言ってたような人間が、いきなりかっこいいプロサーファーにはなれないよなぁ~
でも練習すれば誰でも波乗れるんだ!


そういうことを、場に赴き、スーパースターと場を共有し、声を交わしたら、なんだかとってもすとんとハラに落ちました。
残念なのか、安心なのか、よく分からない感覚です。(笑)


そして、キラキラのスーパースターも、私と同じように、
楽しいものにはしゃぎ、きれいなものに喜び、美味しいことに喜び、好きな人がそばにいることに安心し、と。
とっても「同じ人間なんだなぁ」と、思ったのです。

ぶっとんでるとか、宇宙人とかいうの、え?どこが?ってかんじです。

素敵な、優しい、人間でした。



ていうか今回はっきりとおもったけれど。

どんな人間でも、それぞれの好みの形はあれど、結局同じような感覚を好んでいる。もう、プログラムされてる。

美しさ。楽しさ。繋がり感。安心感。

こういうものを体感したくて、求めて、生きてる。


で、ここが人類の共通項なのだとしたら、みーーーーんなが、一人一人が、この欲求に素直に生きたら、ちょーーーーーーー楽しくて、美しくて、平和で、っていう世界になっちゃうわけで。

この予感というか予言というか確信だけで、胸いっぱいでございます。


あはは、楽しみ~~(*´∇`*)(*´∇`*)(*´∇`*)












総括第一段、おしまい❤

私的メモ 好き棚卸し編

◆病気レベル

真理の追及 (のための知覚できる最大の世界の観察 調査 考察)
体感や気付きの言語化 体系化 統合
思考実験


◆快、きゅん、わくわく、どきどき、楽、面白、安心、美など

宇宙
物理学

水辺 特に海や河など流れのあるところ
太陽光で煌めく水面
天気雨
水にたゆたう

テラス席
見渡せる席
窓際
木漏れ日
お花(視覚と嗅覚を気持ちよくさせてくれる)
特に花弁の多い花
大気のにおいをかぐ
強風

人と話す
他人の視点価値観を開示してもらい観察し、深いところに触れる感覚
物知りな人
字の上手な人
飄々とした人

色白で巨乳の子

衣食住にまつわる美と快の探求
お洋服
キッチン 食卓まわりのもの
インテリア エクステリア
をみて回ったり、買ったり、妄想したり

冷たいデザート チョコレートと甘酸っぱい果物 salad 桃 グァバ うどん おやき 茄子 エスニック全般 スープ あんず飴 野菜の冷製スープ 焼き鳥

知性 品性 面白味 コントラスト 酒脱さ 身体の形の美しさ をあらわす装い
美味しさ 味わい 有り難さ 香り 季節感 をあらわす食卓
快適さ 自然な贅沢感(空間や素材) 飽きの来ないさっぱりとした演出装飾 採光 少しの遊び 都会的要素と田舎的要素のバランスが良い立地 に重きを置く住まい

タイル 石

動物のモフモフのおしり
哺乳類 両生類

図鑑 図録(visualの一覧 標本がだいじ)

視覚的な刺激 満足感(pinterestみたいな)

ファンシーなランジェリー
bralet
totally lase lingerie
ひらひらしたスカート

ミニチュア 小さいもの

男性のスーツ フォーマル(軍装含む)
肩から胸にかけての張り感
座ったときのスラックスと革靴間の絶対領域
肘を曲げたときの15mm覗くシャツと手首の絶対領域
刈り上げた襟足
横分けスタイルside part hair styles
雄っぽいステータスと親和性の高いもの(車・腕時計)


FUNK SOUL GOSPEL などなど
重低音
melowなかんじ sweep感
リズムに乗る
Bigband レビュー

フォークロア
ブルーグラス
アイリッシュ ケルティック
アフリカン

チロリアンテープ

アメリカのおもちゃっぽい色
アメリカのホームコメディの雰囲気

ハート型(亜種ではなく原種)

シール
便箋

耽美・唯美主義、デカダン的世界観

大きいショッピングモール・倉庫
天井が高いところ

プレゼント探し

ASMR
女の子が小声で話し合うこしょこしょ音

クリスマスからお正月にかけて


◆固有名詞

Marilyn Monroe
Amber Heard
Natalie Portman
宮沢りえ
黒田エイミ
Katy Perry(歌もだけど何よりキャラクター)
Lana Del Rey
オノヨーコ

島田順子
石岡瑛子

柳宗理
寺山修司

クリムト

Crazy Ken Band
Pizzicato Five
宇多田ヒカル
荒井/松任谷由実


ジブリ(宮崎駿鈴木敏夫コンビ)

NHK
ユーフラテス

王様のブランチ、アド街ック天国的なお出かけ番組

東京ディズニーリゾート

JELLOのcherry味など赤系
植田のあんこ玉
みはしの白玉クリームあんみつ






◆得意

ニュートラル寄り目線







……随時更新予定

こじらせ系なりきり遊びの有用性を考える

女の子と二人で遊ぶと、オスになってしまう。


かっこつけたいし、自分のしたことで可愛い子が喜んでくれたらゾクゾクするし、とにかくイケメンとして振る舞いたくなっちゃうのである。


潜在的な性的欲求?をこじらせてるのかと思いつつ、ついついイケメンごっこをしてしまうし、不思議な満足感を得ているのである。


一緒にいてくれる女の子は、そんなごっこ遊びに憐れみから付き合ってくれているのかもしれないけど(笑)



とりあえず、このイケメンモードの精神状態で、肉体もオスだったら面白そうだなぁと妄想したりする。


ただ、バイと言うにはお気軽すぎる「女の子好き」なので、勘違いのレベルかもしれない。


理想のイケメンを自ら演じて、同時に相手の女の子に自分を投影して、オス的にもメス的にも同時に性欲を満たすみたいな。


それか、私は何事も、特に人間について・性というものについて「理解したい」欲求が強いので、絶対的に違いのあるオスを、その在り方を模倣することで理解しようとしてるのかもしれないし。


我ながら高度な遊びだと思う。


※よい子はマネしないでね。



そして、私の小さな世界の、私の独断と偏見(この言葉を使う度に思うが、この世の全てが各々の独断と偏見でできていると思う)ではあるが、こんな遊びをしているがゆえに、「女の子がよろこぶポイント」がわかる方であるという自負がある。

(私に近しい女の子、わかってねーよって思ってたらごめんね。)





◆なので、本日はここから、全てのモテ難民の男性へ贈るプチモテレッスンです。お楽しみください。





たびたび、魅力的な男性の条件として挙げられる「包容力」。

これ、とても肝要な部分だと私も思います。


しかしそもそも、「包容力」ってなんだよ。なにを包めばいいんだよ。ってお話ですが。



これは言い方を変えると、「好きな人、愛する人がよろこぶ姿が何より嬉しいと感じられる力」ってことだと思います。

そう思える力が強ければ強いほど、相手のありのままを受け入れることができるし、相手のためにできることは何でもしたいと考えるようになるし。


そして、メスはオスにそれを求めている。
そして、それができる成熟したオスを受け入れ、よろこぶ姿を見せる。これがメスのお仕事。
そうすると益々オスは頑張れちゃう。

こうなると、どちらもハッピーです。(*^_^*)



で、これ、一見聖人君子とかフェミニストのようですが、たぶん、全てのオスのDNAに刻まれてるレベルでのかなり健全で自然な状態であると思います。


「メスがよろこぶ姿が嬉しい」

「自分の存在価値をメスを通して感じることで生きるよろこびを得る」


非常に根元的な部分のよろこびと直結してます。



うわぁ~~~~自分で書いてて面白い。



で、こんなことを女である私が書くと、自分の都合のいいように書きやがって!と思う方もあるかもしれませんが。いや、もちろんその通りですが。



モテないと嘆く男性諸君は、女好きである自分を素直に認め、そんな女がよろこぶことが己のよろこびであることを素直に認め、とっととその事実に屈服し諦めた方がいいですよ。

変なところにプライド立てても、女からは敬遠される一方でございますから。


正しいプライドは「メスをよろこばせられるオスであるオレ」という部分です。

これは全ての土台です。
この土台がしっかりしていればいるほどモテるでしょう(*^_^*)


あ、ちなみに具体的にどんなことをすると女性がよろこぶかは、相手とコミュニケーションを密にとらなければわかりません。
女の数だけ、「よろこびポイント」がありますので。

その部分はプライドとか独断と偏見を一度捨てて挑まないと、モテという果実は実りません。



でも、全ての出発点である「包容力」。それがある男性を嫌いな女性はいない、というのも事実であると思います。










ああ、またうっかり、素晴らしい記事を書いてしまった。

モテについての考察は楽しいので止められない。

差異があるから認識できる。


一人で外で食事とかしていると、どうしてもまわりのひとの会話など、人間模様に意識がいってしまうのですが。



そういう時って、非常に多くのことを感じたり気づくきっかけになります。




今日は。
あるお店で、なんだかとってもイケてないメンズ(※ここでは略してイケメンということにします。)が同僚かと思われる女性と連れだっておりまして。


お顔は決して不細工ではないようなのに、なぜか隣にいるわたくしがムカつくほどに、イケメンだったのです。

あの、「ボクちゃん色々分かるしすごいんだけどね、賢いからね、ひけらかさないんでしゅ~」みたいな、見え見えのあっっっさはかな謙遜とも呼べないセンスのない卑下で、糞みたいな自慢話を延々と女性に語っているのがこちらまでダダ漏れでして。

あ、お口がすべりました。すみません。


びっくりしました。
日頃そういう人が近しいところにいないお陰で、「こんな腐ったオンナみたいな男がこの世にはいるんだ!」「本当にいるんだ!」と。
若干のカルチャーショックでした。




と共に、改めて、自分は本当に人に恵まれているなぁと感じ入った次第です。

むしろ、こういう気分の悪い人がいるからこそ、素敵な人が際立つのだなぁ、と。
うまみを引き立ててくれているんだなぁと。

そういう意味では、存在意義を感じました。



はい、自慢と悪口はハッキリ・軽やかに言うのが素敵だと思います。


と、言いながらこんな風に日記に愚痴っていたりもするけど、私はいいの。(笑)



そんなこんなで、センスのない男女がこの世から減ってくれたらいいなぁと思っております。センスの底上げを願います。




毒テラでした。

フレーズ、メモ

調教師
LOVE & PEACE

自分を上手に否定する 疑う(思考の部分否定)

「忘れる」「慣れる」「飽きる」というのは非常にユニークな現象
無限の可能性の中で、人が今の形で生きていることの必然性?偶然性? 現在の人の世界観を世界観たらしめる要素 これがないとしたらどう生きるのだろうか

世の合理主義者たちに問いたい。

悟りたい人と悟りたくない人

思考実験マニア。真理マニア。

人生に対する読解力

自分が幸せであることが人生の至上命題である。(ことの証明。)

感情原理主義になりがち。油断すると思考にのっとられる

スピーカーとしてのギアチェンジ

哲学するのが好きなのは間違いない。頭のなかで、限界まで突き詰めて削ぎ落としていこうとする作業。
でもってその気付きをいかに端的な、洗練された言葉で表すかっていう作業も同じように好き。
「青い好き」

グッと来ちゃうもの。



私は 人間的な性質の中で、intelligenceとhumorというものに、絶対的な憧れを感じている。

(日本語の知性とか叡知とかいうより、私の中のニュアンスにより近いので英単語を使います)



intelligenceは、もって生まれた人の資質の一部でもあるし、生きていくなかで深みを増していくものでもあると思う。


で、intelligenceというのは、人が内から沸き上がるもの
ーーーたとえばとどまらぬ好奇心や、肉体的な欲求や、精神的な欲求など、人間に生物としてプログラムされているパッションーーー
に従い、そこで得た感覚(感情や体感)の、実地から得た一連の経験の蓄積によりもたらされる、深い洞察力や推察力のことであると思う。

その力が深まるほどに、世界を捉える眼は、ニュートラルな視点になっていく。


とはいっても、我々人間は感情・感覚の生き物。
ニュートラルだけでは生きていけない。

やはり、生きていれば様々な感情のなかで、ときにもみくちゃになる。
それはそれで、いいのだ。存分に味わえばそれでいいのだ。

ただ、その感情が起きて常に揺れている層と、ニュートラルな層が深いところに確かにあるという状態が、私にとっては悟っている状態で。


そのニュートラルな層に深みをもたらすのが、intelligenceであると思う。






そして、humor。
これは、intelligenceを内包する、遊びの部分。

humorがhumorたるには、intelligenceによるニュートラルな視点は必要条件なのである。


人が何かに面白さを感じることと、善悪とか正誤の二極性の価値観とは同じ層には存在することができないのである。

二極性をメタ的に捉えたり(そのメタ視点自体がメタな二極性でもある場合も)、二極性とは別質の価値観の位置にあるときに、始めて面白いと思うスペースが生まれるからである。

要は、対象と同じ土俵に立っているうちは、絶対に面白いとは思えないのである。

面白いという感覚は、余裕・余白・スペースから生まれるものであるから。



で、私は、人生を面白がって、楽しく生きたいのである。

軽んじたり、バカにするのではない。

寧ろ、深いintelligenceを持ち合わせていればいるほど、自ずとすべてに対する畏敬の念や、まっすぐなプライドが生まれるはずだ。


改めて私にとっての悟りとは、
深い層では常に愛を感じ、表層で沸き上がる感情はただ感じる、という軽やかな状態である。


その状態に近づく力。人間力。というものがまさに、
intelligence と humor に凝縮されていると。私は考えているのである。


だからこそ、その性質に絶対に憧れるし、他人のなかにそれを見出だすと、めちゃくちゃグッと来ちゃうのである。



そういう意味で私は、

宇多田ヒカルさんや、Crazy Ken Bandや、Pizzicato Fiveの世界観に、intelligenceとhumorを見出だし、グッと来まくっているのであると思う。

あ、あと、よしもとばななさん。



はい、長くなりましたが、彼らと彼らの産み出すものが好きですってことです。

寂しさというものは悪か


あまりにも強烈で、自分自身が手に負えないと感じるほどの寂しさと不安。


私は長年この身体の奥に染み込んだ「強烈な寂しさ」を、持て余してきた。



母親との関係で深く傷ついた事以外は、私の人生での人間関係はのどかで優しくて幸せであったと感じる。



にもかかわらず、私は時に発作的に強烈な寂しさに包まれて、真っ暗な世界に沈み込むようなその感覚に支配されて、目の前にある安心や愛情が全く見えなくなってしまう。

全世界から否定され、この世界に自分が認められ安心できる居場所はどこにもない。という気持ちになってしまう。


これは、私にとって唯一の肉親である母に優しくしてもらえなかった・受け入れてもらえなかったという、古いけれど深く刻まれてしまった記憶が、何かのきっかけで呼び覚まされるからだと思う。




「お前なんて生まれてこなければよかった」
ということを何度も何度も、二人きりの世界で、言われ続けてきた。

知らないうちに私は自分の事を、
「私がただ生きているのはいけないことなんだ。」
と思うようになり、
「何とかして、生きていてもいい理由を作らなきゃ。」
と考えるようになった。

はじめは
「母親の言うことを聞いて、母親を喜ばせれば、なんとか生きることが許されるのだ」
と考え、母親の言うことを聞くように頑張った。


しかしだんだん無理が出て来て、要求に応えられなくなると、また
「お前なんて生まれてこなければよかった」
といわれ、

「こんな私はやっぱり生きてちゃいけないんだ」
と自分の存在をそのたびに否定して、そんなことを何度も繰り返すうちに、知らずに傷がどんどん深まっていった。


その自己否定感はどんどん膨れ上がり、母親との関係のなかだけでなく、外の世界でも常に感じるようになってしまった。

少し誰かに何かを注意されれば、
「お前なんて生まれてこなければよかった」
と言われているような気がして、一気に萎縮して自分を責めた。




その一種の思い込みというか、トラウマからくる発作は、親元から離れてから徐々に落ち着いてきたように思う。

色んな人とかかわり合うなかで、私の考えが塗り替えられ、この不安感は気のせいだ、と頭で理解するところまでは、つい最近、やっと来れた。



でも、まだまだ奥深いところにこびりついてしまってなかなか剥がれない、存在することへの不安。



これはもう、私にとって人生のラスボスみたいなものかもしれない。
この感覚を払拭しないことには、どんな人と関わろうが、必ずまた発作が出てしまう。
発作に苦しめられるのはもう嫌だ。


ただし、このラスボスを倒して新しいステージに行くことは、誰でもなく、自分自身にしか出来ないこと。


ラスボスを倒す不安や心細さを、誰かと共有することはできても、ラスボス自体は自分以外の誰かが倒すことはできない。


それはとても重い事実だけど、だからこそ、きっと何とかなる。とも思う。





そして、もしそのこびりつきが、存在することへの不安が、剥がれたとき。

そのあとの人生では一切寂しさや不安を感じなくなるのか。といったら、きっと、

嬉しい、楽しい、悲しい、ムカつく、という色んな感情と一緒に、たくさん感じていくのだと思う。





どんなに人生を振り回されても、どんなに苦しくても、さまざまな表情であらわれる「感情」は悪でない。


人間が、人間としてこの世を味わうための、「味わい」そのものであるから。

感情を味わうことが人生であり、「幸せ」そのものであるから。

How to be 幸せ

今、これを読んでる人で。

愛されたくない人いますか?
認められたくない人いますか?
安心したくない人いますか?
満たされたくない人いますか?
気持ちよくなりたくない人いますか?


これ、もう、人間として生まれたら抗えない欲求です。
これ、まず認めないと次に進めません。
意地はってる、拗ねてる、見ないふりしてる、場合じゃないです。


で、愛される・認められる・安心する・満たされる・気持ちよくなるなどの感覚をまるっと、ここでは「幸せ」と呼びましょう。


今、あなたが頑張ってやっていること、やり遂げようとしてること。それは全てこの「幸せ」を得るためというところに行き着きます。

形の先の、形のないものに向かって努力してます。


はい。そしてこの「幸せ」という目的地に辿り着くための「努力」。
向ける方向、やるべきこと間違ってます。多くの人が。だから、空回りして疲れます。

私も、ながらく間違えてました。
でも、最近真理に気づきました。





幸せになるための正しい努力の方向。そして方法。究極にシンプルです。本当は簡単です。
でも、今までの常識の真逆をいってるので、まずは常識を疑うことが必要ですね。

順番に説明します。



まず、「幸せ」になろう、なりたいという気持ち。
これは、そのままでいいです。むしろこの情熱はとっても大事です。
これがないと無気力の廃人です。

問題は、どうやってその気持ちを満たそうとしているか、の「どうやって」のところです。



例えを挙げると、あなたには「愛されたい」という欲求があるとします。
この欲求を満たそうとしたとき、あなたはまず何処に目を向け(目的地を定め)、どんなことをしようとしますか?


それがもし、例えば好きな人だったり親だったりの、自分の「外」の世界の誰かからの愛を求め、「外」の世界からの声や要求に合わせて努力することで、愛を獲得しようとしているのであれば、それは空回りパターンです。



でもね、この「愛されたい」って心の叫び、自覚するところまで来たのなら、あとはもう少しです。

じゃあ、それは、「誰から」愛されたいってことなの?っていう部分が全ての答えです。

誰もが信じて疑わずにいた、常識と真逆の部分です。


これは、《自分以外の外の世界》から「愛されたいん」じゃなくて、《自分が、自分自身》から「愛されたい」んです。本当は。


わーーーーー。マジっすか!!!!!

びっくりじゃないですか?

でも、本当です。



今まで自分が、外の世界に向かって求めていたものは、本当は、自分が自分自身に、求めていたものです。

そうすると、物事はとってもシンプルでクリアになってきませんか?



《自分から》愛されたい。
《自分から》認められたい。……


じゃあ、今この瞬間から、自分を愛してあげてください。
認めてあげてください。
抱き締めてあげてください。

怖かったよね、頑張ってきたよね、否定してきてごめんね、大事にしてこなくてごめんね、って。
そうしたら、自然と、自分にありがとうって思えます。
自分のことを愛す一歩を踏み出せるはずです。




結局、幸せになるためには、自分の内側に目を向け、自分に集中し、心の中から沸き上がる大小様々な欲求を自覚し、認め、それを毎瞬毎瞬自分自身で真剣に叶えていく。そしてその欲求を叶えるためにはいかなるときも、自分最優先!!を貫くってことです。

そして、その愚直な努力のひたすらな積み重ねでしかないんです。

しかし、今までそうやって生きてこなかった人にとっては(私です)、自分の心の声(欲求)に従いそれを現実化するために自分最優先で行動する。というのは、死ぬほど勇気がいることでしょう。



でね、だいたい自分最優先初心者は、何をするにつけても
「こんなことして、嫌われたらどうしよう!」
っていう一言に集約されると思いますが、こういう恐怖心が沸いてきます。


これに関しては、私が自分最優先を実践していく上で実際に体感したことなので、

はい、大丈夫です。嫌われません。と、断言できます。

むしろ、自分自身の幸せのためにまっすぐ生きている素晴らしい人間を嫌う人がいるなら、その程度の人からは早く嫌われて縁が切れたほうが、スッキリしていいじゃないですか。

そして、自分が自分を愛せたら、自ずと、その状態のあなたを愛してくれる人がどんどん増えます。
安心してください。




まぁ、この自分最優先をひたすら実践して、恐怖心も薄らいで自然にできるようになるのが、「自分と両想い」の、満たされた理想的な状態です。
人生が、軽やかになります。

ここまで来れば、あとはひたすら自分の魂を燃やして、遊びきるだけです。






目に映る外の世界は、全て自分の内面の投影です。

心が先で、現実が後。と言ったりもできます。


これは、自己啓発やスピリチュアル的なものをかじっている人ならよく目にする概念だと思います。
頭でわかってる人も多いのかもしれないです。


で、今の自分の状態を、外の世界のせいにすることはちょーー簡単です。
今の自分の状態は、「全て」自分が作ってる。って認めるの、ちょーーーー恐いです。


でもね、その事実を認めないと結局は同じような問題とか苦しみとかを繰り返し続ける、重苦しい人生のままなんです。
それが好きで、望んでいる人生ならば、もちろんそのままでいいんです。


で、その事実をハラに落とすためには、信じられないと思いながらも、「もしかしたらそういうことなのかもしれない」と、一度自分がその前提で行動・実践してみて、体感しないことには一生わかりません。




なので、今、人生に対して「何か違う」「こうじゃない」「苦しい」という違和感がある人は、本当に、さっさと自分最優先、やってみて。今この瞬間から。
恐くても。

ここまで読んだのなら、

もうこれから先の幸せな人生に必要なのは、自分を幸せにする責任を全て自分が引き受ける、と決める勇気だけです。