「おしゃれ」で読み解く生き様のはなし
わたし、「おしゃれ」なことが大好きです。
服でも、空間でも、音楽でも、言葉でも、人でも、なんでも。
逆に言うとダサさが、不快。
でも、「おしゃれ」ってとても抽象的なもの。
そこで、私にとっての「おしゃれ」の定義を明確にしていこうと思います。
まず私にとっての「おしゃれ」は、いかに洗練されているか、そのものの持つ【世界観の純度】とイコールです。
で、今度は「洗練されている」、「世界観の純度」とはどういうことかというと。
まず、人間には、それぞれ先天的&後天的なもので構成される「好み」というものがあります。
それは、食べ物でも、色でも、音楽でも、場所でも、
それぞれが心地よく感じるものって違いますよね。
その自分の「好み」を、歪みなく自覚し、そしてそれを表現することが、その人の「世界観」を構築することになります。
その構築された「世界観」が最終的に、おしゃれと評価されたり、「スタイル」と呼ばれたりするわけです。
で、その「好み」という部分に注意点があるのです。
上に「好みを歪みなく自覚し」と書きましたが、
それはどういうことかと言うと。
《あなたが「好き」だと思っている、それは、
本当にあなたにとって純粋に「好き」なものですか?》
ということです。
それをお洋服で例えを挙げますと。
「小花柄のワンピース」を買ったあなた。
何でそれを選んだか、理由を人にしっかり伝えられますか?そのワンピース、気に入ってますか?
そこで、「何となく」とか「流行ってるから」買った。
お気に入り度は「ふつう」。
というような答えになるとしたら。
そして、今 手持ちのお洋服が、すべてそんな風に選ばれているとしたら。
残念ながら、間違いなくあなたはダサイ人です。
あー、私は、ブランドにもめっちゃ拘って買ってるしー♪ダサくなかった、よかった♪
と思ったあなた。
じゃあ、あなたは何でそのブランドが好きなんでしょう?
「皆がおしゃれって言ってるから」
「雑誌でイケテるって紹介されてたから」
では、ありませんか?
もちろん、流行りものに乗っかる楽しみもありますよね。
それを無邪気に楽しむぶんには、まったく問題ないと思います。
特に、日本人はみーちゃんはーちゃんな方が多いですし。
でもね、冷静に自分を観察してほしいのですが、
流行りものが好きって気持ちのその根底に、
「皆と同じでないと、流行りに乗らないと、嫌われてしまう」
という不安が有りませんか?
仮に、今「好きだ」と思っているものが、
流行りものではなかったら。人からは評価されないものだったら。
それでも、それを「好きだ」と言えるでしょうか?
誰になんと言われても、「好きだ」と思えるものこそ、
あなたにとって【歪みのない好み】なわけです。
そして、この歪みのなさ、純度の高い「好き!」の蓄積こそが、
確固たる、その人にしか出せないオリジナルな世界観を構築するのに、必須の条件なわけです。
長くなりました。
ここでまとめますと。
私にとっての「おしゃれ」とは、
【純度の高い世界観を持っていること】です。
フランス人はとかく、「スタイルがある」ことを重要視しますが、そういうことだと思います。
それは、人でも、創作物でも、服でも、音楽でも、何でもです。
他人の価値観や評価を一番に気にして萎縮しているうちは、
絶対におしゃれにはなり得ない。ということです。